わたしはどこにいる

息子の名前は、真ん中の真という文字を入れようというところから話がはじまった。

 

生きていく上でだいじなことなんか、心の真ん中だけだから、それだけだいじにしてよね、という気持ちで。

 

でもさ、息子よ、わたしの真ん中にさいきん会えてないのよ。どこだっけ、真ん中。

 

なにも書いていないから、こんなことになるのかもしれない。ただ備忘録のようにつけている日記じゃなくて、なにかちゃんと心を記さないと。書くぞー。

愛ひたひた

フジロック

よっちゃんとUAトータス松本

ジョンレノンのイマジンを歌っていた。


見たこともあったこともないジョンレノンの愛そのものが確かに宿ってて、時空をこえて、美しい日本語になって、人々の胸を打つ瞬間は、人間が生まれてくるときに体中に宿している愛が、そこいらじゅうに蔓延していて、しあわせ蒸気がフガフガしてたと思う。


愛。息子を産んで、知ったこの世の愛。

海や山や自然界に求めることの多かった愛を、今、人や芸術に見つけることがある。


声、音、文字、色、顔、髪、肌、感情


美しいこの世界は愛するなだらかさと、温度と、気持ちよさで溢れている。

感じるまま、ただよい、飛び、歌い、泳ぐ。



現在という概念について

1年5カ月放置してしまいました。
私は28歳になったし、雑紙の編集者になりました。そう、前回このブログを書いたときはまだシンガポールから帰国したばかりで、フリーのライターになるか、会社員になるか、まだ決めかねていたときだったような気がします。記憶なので曖昧ですが。

こういう未来は想像もしていなかった、というような毎日が続いています。朝と夜がきちんと、毎日同じように訪れて、そこにそれ以上もそれ以下もないような生活。
愛でも恋でもない「普通」という美しさに、ハッとします。仕事の合間にお気に入りの喫茶店で本を読んでいる時間に。重い荷物を運びながら歩く、雨で濡れた道を歩く帰路で。

今年のゴールデンウィーク上高地と小川村に行きました。この自然が、この景色が今、目の前に「ある」という「現在」に、気づいた。そういう数日間でした。

体は祝福。地球は現実。
相変わらずとりとめない内容ですが、また何かの機会に書きます。

三が日

来年までは、覚えていられないかもしれない。

叔父さんとのお喋りの時間、
姪っ子たちの笑った顔、
おばあちゃんの、よしのちゃん、と呼ぶ声、
従兄弟たちがびっくりするくらい優しくて賢くて頑張ってること。

忘れてもいいや。
写真も日記も消えてしまってもいい。

これから先も、何度も何度も満天の星を見て、あぁこんなに綺麗な星を見るのは初めてかもしれないなって、何度も何度も思えばいい。

とにかく毎日陽が昇って沈んで、
そんなこともすっかり忘れて都会で毎日を過ごして、時々田舎へ行ってホッとして、
そうやってまた一年、着実にやっていこうと思います。

私はこの家族の一員なんだと強く実感できたお正月でした。

もどるぐるぐる

やっぱり大切なのは、思考するヒントと、きっかけかなぁと。
その足がかりになるのは、物を創るひとたちによる作品か、もしくは日常の切り抜き方か。

考えていくと、青く青くなって、簡単にここに戻ってくる。
人生は螺旋階段。まるで同じように何周も何周もまわって、何度も何度も同じ景色をみる。

どこにも行かない!大丈夫。

2年目

親のめんどうも見ずに海外に住み、
日本語しか話さず、
意味のない仕事で金を稼ぎ、
週末は酒を飲み、
愚痴を言い、
吐瀉物のようなことばしか発せないわたしが
いくら
夜中
知らないニースのことを数分考えて泣いても、
世界はなにも変わらない

でも、考える。

選択肢

お正月日本に帰りました。
実家に2泊して、あとは祖母の家に。

海外に住むようになってから、一時帰国といえば友だちや彼氏と遊んだり旅行に行ったりしていたので、家族や親戚との時間をこんなに取ったことは初めて。とても新鮮な気持ちで一週間ほど過ごしました。本当は、これこそが自分の姿で、それはとても孤独なことなんだということが分かった。
だけど、この家族の一員なんだという実感を持てて、よかった。

その時間をもったことは、すごく良かったことだと感じていたはずなのに、その選択が仇となることがあるんだな。シンガポールに来ることに決めたことも、別れることを決めたときも、毎回真剣で、その選択に覚悟と責任をもって、良い選択をしてきているつもりだったし、思い返してみてもそれは変わらないのに、もし戻れるならシンガポールには来ないし、別れたりはしないと思うのは、自分に失礼だ。分かっている。けれど。

大好きで、ちゃんと考えて、毎回本当の気持ちを話してきているつもりだよ。
伝わらないことが、とても多い。でも一緒にいるだけで、良かったのにな。