差別していこう

学生さいごに、いろんな人に会った。
そのときのことを書いておこう。もうすでに忘れかけてるから、ウソも混ざるかもしれないけど。

自分を形成してくれた人たち、いまの自分に決して満足していないから「してくれた」というのはおこがましいか。では、自分を形成してきた人たち。

特に同世代の。
なんかさ、普段世代の違う人とばかり居ると、同世代への愛が深まるんだ。スピッツの、群青って曲があるんだけど、そんな気持ちになった。そんな気持ちになることは、人生においてとても幸せなこと。

毎日、重なっていくでしょ。
年齢を重ねれば、毎日が重なる。
聞いた台詞を何度も聞かなくちゃいけないし、同じ壁に何度もぶつかる。
癖にも気付くし、諦めもつく。
重なる、重なる。

そうすると、どうしたって許すしかなくなることがある。
その方がたのしいし、楽だし、ニコニコしてられる、それに成長だと思う。許す、許容だからね。
だけど、どうだろうそればっかりになるのは。
私は何歳なのか、どんどんわからなくなってしまっていたんだよ。
『何歳でも関係ない!』
なんて、でっかい人間になってしまおうとしていた。している。

『なんでもいいじゃん、人生ってそんなものだよ。しのごの言わずがんばろう。』
って、そんな感じになってってさぁ。

でもさ、そういうのに同調するしかないような気になっちゃうんだよね。自分を保つ方法がね。

本当はそういうの、クソクラエだって。うるせーよって、喋りたいときに喋りたいことを、朝まで喋ってるみんなと会っておもった、しあわせだったぁ。


言えないときがほとんどだよ、話せない事ばっかり、もちろんそんなのしょうがない。
でも、あの時間がじぶんのキラキラの方向であることをわすれない。
こういう人たちと過ごしてた時間が、じぶんの人生に一時でもあったんだっていう事実が、今後何事からも助けてくれるんだとおもう。無意識に。気付かずとも。

これから先出会う人とも、少しでもそんな時間を過ごせたらいいです。

『あぁ、この人と居たんだ私』って、あとで会ったときに思えるような時間。


なんか私倒置法ばっかで気持ち悪いな、
もうちょっとまともな文章書きたい。でも本音を書きたい。
まともな文章で本音を書けるようになろう。よし目標できた。