同化している

一連の風の中にいるようなものだということ。
それが週末ケップに行って一番感じたこと。

目の前を何匹ものニワトリが横切る。
そのニワトリを見ながら、チキンを食べる。

残った骨を人間に寄り添う犬が食べる。

トイレなんて無いような物。
すぐそこに海がある。
風が強く吹いていて、ハンモックでうたた寝をする。

命ってきっとこういうものなんだと実感。


食事を、私たちはまるで高貴なもののように扱いたい。
だけどそれは一番排泄に近い、ニワトリに近い。
牛の丸焼きを見た女優が「気持ち悪いやめて」と甲高い声で騒いでいるところをTVでみたけど、きっとそういうこと。ブタがいた教室を観て何日か豚肉が食べられなかった人も、そういうこと。

いつか誰かが言ってた。「そこには人が死んでいて、それを動物が食べていて、その動物を人間が食べる。」テレビでもみたことあったし、たぶん擬似体験もしたことある。こういうこと考えたりこういう感覚になっったり。でも過ごしてると忘れちゃう。色んなこと逃すね、感覚を失う。私の中の鶏肉は、ニワトリではなくマルエツに行けば置いてある、あの真っ白いパックだから。



だけど私たちは、まるで別の高貴なもののように錯覚したい。
食事中にトイレのトークはNGだし、鶏肉売り場にニワトリの頭などない。
なんでも分けるのよね。
混ぜない。あれもこれも別々。

それが人間の知恵であったり、文明であったり、素晴らしいものなんだったら否定する必要はないけど、「否定しないこと」と「知らない」ことは別物。
全ての食べ物が、こんなたくさんの「命」であることを知った上で、あのキレイな水洗トイレを使いたい。うんこを食べて、うんこをしてんだ。

そういうことだ。風が吹くのも、海があるのもきっと、そういうことなんだなーーーーーハンモック最高だな。と思いながら、良い夢をみた、ウサギ島という名前の島で。


そんな週末明けましたら、晴れて正社員。
がんばるよん。