分かることなんてないことを忘れない

お父さんから
それはそれは悲しいメールがきて
すっかり暑さに溶けてた私の脳みそが、一瞬うずいた。

全部忘れて、すっかり楽になってる私。
向き合うってなんだっけか。 ね。
こどものころは、そういう「自分」とか「黒」から
逃げる術なんて持ってなくて
向き合うしかなかった。
絶対そんなのには勝てなかったけど。

大体、その「黒」が、漠然としすぎてた。
頭が悪い上に怠惰なもんだから、構造とか、具体的に解剖したり
できない。勝てない。

漠然は、恐怖。
恐怖は、人をダメにする。
使い物にならなくする。

怯えて、だけど逃げられもせずに
ただ其処にいる毎日は、苦しくて
苦しみは、たくさんたくさんの良くない現実をもたらす。

例えば、欲深くなったり
他人を陥れたり
そんなこんなで、とてもエゴイストな人見知りが出来上がり。

それじゃいけないから、
たぶん 今は
少しずつ、毎日が具体化してきてる。

それは同時に、いかにこの世界が(少なくとも私が見ようとしてきた世界が)
大人のための世界であったかを思い知らされる。

あんなにずっと早く大人になりたかったのは
こんなに大人であることが楽だからだったんだ。って思う。

毎日の生活が、あって
その「毎日」ってやつが
私からね、「真っ暗な部屋で泣く」時間を奪うの。

奪われたその「時間」に私はいままで
なにかを形成してた。たぶん

それはとても大切なもので
両親がわたしにくれた「わたし」であったはずで、

否定されて、それを削らなきゃいけない生活になっても
その時間を死守できる生活を選択するのが、私の人生の
使命なんだったんだと思う。

だけど、忘れてた。
その時間がない「異常」な今を。
お父さんのメール読むまで。

「テンションが低いっていうのは甘えだ」
っていう、正義とか
「テンションが全て」
っていうお芝居、フィクション、大好き。

でもそれノンフィクションにしちゃだめ。
楽になるけど、だめ。

ってこと。です。