してほしいこと

ひとの彼氏の話をきいて羨ましな、とおもうのは
彼氏が何かをしてくれた話をきくとき。

私は、あのときもあのときも、なにもしてもらってないなぁってまた考えて
あぁなんで人間はこんなに、常に、何かを「して欲しい」のかなぁって。

誕生日、お祝いして欲しかった
毎日ご飯つくるとき、すこしでもいいから気遣って欲しかった
事故したと電話したとき、心配して帰ってきて欲しかった

もし子どもが生まれたら、子育ても一緒にして欲しい
子育てをするわたしを、気遣って欲しい

してあげてばっかりじゃ嫌なのは、なんでだろう
優しいってなんだろう
一緒に住むのって、何が大事なのかな

あいされてる自覚は確かにあったけど、私が何かをしてあげる、その日常に怠惰になっている彼を見るのに、疲れた。絶対に当たり前のことではないのに、感謝の気持ちすら持てない人間に見えた。私が彼のために生きている時間こそ、彼の中に私が存在しない時間である気がした。
ならば、わたしが彼のために生きる時間をなくせば、わたしは彼の中でも生きられるのではないかと考えて、少しずつ彼のために生きるのを辞めてみた。そうしたら彼はとても傷ついた。君はもう、僕のためには生きてくれないんだね、と怒った。そしてその傷ついたじぶんを癒すべく、黙ってフィリピンへ行き、それが私にバレた。バレた途端、彼は言った。もう我慢の限界だ、別れよう。インドネシアから、ソーシャルネットを使っての別れる宣告だった。わたしは何度も電話をしたが、彼は一度も出なかった。私は、出ていく準備をし、彼が帰ってきたらきちんと話をして別れようとおもった。

帰ってきた彼に別れようとする様子はなかった。
傷付いた顔をして、わたしに言う。
「別れないよね?」

わたしは疲れてしまった。もう本当にくたくたなのである。
わたしはこのさきずっと彼のために料理をしたり洗濯物をたたんだり買い物にいったりレストランに行ったり店員さんを呼んだりメニューを決めたり遅い帰りを待ったり、しません。
もう二度と。二度と嫌。