東京について

カンボジアから、みた、日本
にほんで、みる、日本

帰国して、ぼぅーっとしながら、神経がすーっとしながら、過ごしていたら、いつの間にかすっかり日本に馴染んで。
ありとあらゆる感じていたことを、感じなくなってゆき。帰国直後は「馴染まないように」などと思っていたじぶんはどこへやら、日本の予想以上の居心地の良さに、よく海外に出たなぁと自分を感心するほどに。

しごとを決めるまで、またたくさんの思考をまとめたり、抱えたり、見て見ぬ振りをしながら、職を決め。
勤めた会社で、安心感と楽しさと、もちろん不安をもちながら仕事をはじめて、
じぶんのいる場所を、少しずつ少しずつじぶんで自覚していく。朝起きたときに、どこにいるのか混乱しなくなる。

そうすると今度はどんどん保守的になってゆき、この作った場所への概念がまた崩れてしまうことを恐れる。それはやはり起こり。(わかっていながら、じぶんで崩したのだけれど)立っている場所も感情も理論もごちゃごちゃに、感覚もなくなり、不安に苛まれ、どうしていいのかわからなくなっていました。

だけど、きょう、会社で、しごとをして、しごとをして、しごとをしている人たちと一緒にしごとをして。
いま自分がしている、できている経験の(じぶんにとっての)価値の大きさを、こころから信じることができた。

さやかを見ていると、その仕事がどれほど誇れるもので、わたしの仕事がどれほど雪かきでしかないか、まざまざと系むなしさを感じなくはないけど、いまのこの瞬間だけは、大丈夫。
じぶんを含めた東京を、ちゃんと埋まった気持ちでみることができる。

いい1日だったな。