帳尻合わせが足りなくて

夢が叶うこととか
なんかすごく大きいことを成し遂げるよりも
もっともっと現実にいたい。

毎日の中で、嫌なことがあって
不安があって緊張があって
もどかしいこと、誤解されちゃったり
うまく行かないことがある毎日。

それが好き。いちばん。
そしてその毎日は過程じゃなく、結果。
一日一日がただ過ぎて行く、それこそが結果で
その先に何もなくていい。

でも条件があって
家族がいること。離れてても家族がいること
血がつながっていなくても家族と思える人がいること。

何かがすごくうまくいっていると不安だ。
いつも落とし穴が待ってる。
何かうまくいかぬことがあってほしいと願う。

仕事に慣れて来て
任されることが増えて
自分の判断だけが頼りのことも多くて

まざまざと突きつけられる
自分のだめなところを。

それは何も能力の問題ではなくて
ただただ人間性の話。

そしてそれはある種個性であったはずの部分。
社会ではミスを引き起こす原因となる。
社会って、没個性化。
全てを社会に捧げるのなら、それは自分を社会に売るようなものなんじゃないの。
賢くない私のような人間にとってはね。

だから
学生の頃、あの不毛な毎日に感じた
ひとつひとつの違和感をいつまでも持ち合わせていたい。

「人と人が、話をしているだけなのに、
どうしてそう何かのカテゴリーに人を押し込んで
傷つける必要があるのか?」

誰となんの話をしているのかを
ちゃんと見極めて、自然に話すことができるということ。
話ができるということ。
それが、毎日きちんと、普通に、行われる人生を生きたい。

冷静に成長したいな。
社会のからくりと、大人たちの陰謀に
しっかり組み込まれながら、死んでいくまで。