そこからいじめがはじまる

6月になった。
さやかは、就職してから予想以上の忙しさと大変さでやられてる。

わたしは相変わらずカラカラとしていて、本を読むか映画を観るかの、どちらか。

人が、人を平然と傷つけているとき(言葉、表情によって)、そして傷つけられた人が平然を保とうとカラカラと笑っているとき、そこに「いじめ」というものが発生するのだとおもう。
きょう、それを、たくさん見た。
どちらも大人だから、最後はもちろん何事もなかったかのかのごとく
「お疲れ様でした」「失礼します」「今日はありがとうございました」

だけどたまらなかった。人の努力を踏みにじることばを、とても簡単に言ってのけてしまう、そのうすら笑いを浮かべた何も考えていない、その顔が、声が、背中が。
あなたのことをある程度知っている人になら、「○○さんはほんとうに、デリカシーがないなぁ」で、受け入れられる。そうやってみんな過ごしてる。だけど、あなたのことを理解させる(呆れさせる)時間も与えずに、容赦もなく浴びせるそれは、暴力である。軽蔑します。

もしこの人生に「成長」が許されるのならば、このような発言をこんな場所に吐かない人間に。
もしこの人生に「成長」が許されるのならば、このような事実さえ、変えられる人間に。